窪美澄さんの『やめるときも、すこやかなるときも』を紹介します。
窪美澄さんは私の中で小説の持つ力を感じさせてくれた小説家です。
読んでいて痛くて苦しいのだけど最後に一歩踏み出す力をくれるような作品をたくさん出されていて新刊の度に手に取ってしまう作家の一人です。
いずれまとめ記事を書きたいくらい好きな作家さんなのですが書くに当たって読み返すのに勇気がいる部分があってなかなか踏み出せずにいます。
でも何人もの友人に勧めてその内の何割かが読んで皆、「読んでよかった」と言ってくれるので私としても布教活動をがんばらねばと勝手に意気込んでいますw
この『やめるときも、すこやかなるときも』も胸に響く強い気持ちが描かれている作品です。
あらすじ
大切な人の死を忘れられない男がいます。
過去のトラウマから12月になると数日間声が出なくなります。
また、うまく恋ができない女がいます。
家庭環境が原因で現在でも困窮する実家を経済的に支えています。恋とは縁遠く、恋愛に対する辛い過去もあり自信もありません。
どこか欠けた心を抱えた2人が出会い、相手と自分自身に向き合っていく物語です。
ここからネタバレ注意。
やめるときも、すこやかなるときもの感想(ネタバレあり)
人生の中で私が出会った大切な一冊というようなテーマがあって聞かれたら(聞かれることなどありませんが笑)こういう本を選ぶと思います。
こんな本ばかりの読書では疲れてしまうけど、自分の弱いところとか辛い過去とか、乗り越えたり、寄り添って生きていかなければならないことに対して向き合う話というのは真剣に読めば読むほど大切です。
同じようなテーマの本は世の中に溢れていると思いますが、真剣さが圧倒的だと感じました。だから読んでいて楽しい描写は楽しくなるし、辛い描写は辛くなります。
また主人公の男の職業は家具職人ですが、職人の仕事ぶりが描かれている話は文章の筋と関係なく面白く魅力的です。
壱晴と桜子の場面が交互に描かれます。
前を向こうとしても本当に大切な人の死に囚われ続ける男とそんな男の内面を知り胸を痛めながらも男の内面に傷つきながらも理解しようとするお互いの姿は見ていて辛いです。
自分のエゴに気づいて自身を責めるような二人です。
繊細な気持ちの揺れ動きはよく分かります。自分とは違うけど、それでもよく分かりました。
何とかうまく二人の行く末が着地して欲しいと思いながら読み進めました。
だからこそラストの文章が感動的です。
マンションの下で、しばらくの間、自分の部屋の灯りを見つめていた。僕を待っている人があそこにいる。窓辺に動く影が映る。その影をなぜだかなつかしく思う。
「ただいま。桜子」そうつぶやく自分の声を僕ははっきりと聞いた。
他者と共に生きることの温かさを自覚する形で壱晴は取り戻したことに安心しました。
多分、外面で前に進む描写はいくらでもあるのだろうと思いますけど、特に大切な人の死があって、大切だからこそ囚われる自分の気持ちを受け止めた上で前に進むということは単純なものではありません。
同じように戸惑う桜子の存在と重なりあってようやく手に入れた前進を自覚しているからこそ、この物語はここで終わりで私自身祝福する気持ちで本を閉じることができました。
終わりに
この作品と出会って、今の私の日々をもっと真剣に過ごしたいと思うし、何気なく頑張った感じになっている部分を改めようと思いました。
トラウマとか辛い過去があるとかないとかじゃなくて、乗り越えるようなことがなくても、です。
好き嫌いはあるかもしれませんが世間的にたくさん評価を受けて欲しいと思うくらい好きな本ですし、お勧めしたい本です。
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