作家・吉田修一の作家生活二十周年記念作品として放つ渾身の大作!
読書の世界へ引っ張る力が圧倒的な作品です。
人が人生の全ての時間を一つのことに捧げたら何を成すことができるのでしょうか。
狂気とも言えるのかもしれない。それくらいの熱量で何十年もの間、芝居に取りつかれたようにのめり込む男の一生の物語です。
日本芸能の最たるものである歌舞伎の世界で匂い立つ情感と美しさの真髄を楽しみながら、圧倒的な情熱にやられます。
Contents
あらすじ
任侠の一門に生まれながら、この世ならざる美貌を持った喜久雄。
極道の世界から梨園の世界へ飛び込んだ立花喜久雄の人生を中心に物語は進んでいきます。
上下巻で20の章立ては喜久雄の師匠や上方歌舞伎の名門の嫡男として生まれ育った俊介、幼いころから太い絆で結ばれている徳次など様々な人物の人生に触れて喜久雄と交わっていきます。
長崎から大阪、そして高度成長後の東京へ舞台を移しながら、血族との深い絆と軋み、スキャンダルと栄光、幾重もの信頼と裏切り、数多の歓喜と絶望が、役者たちの芸道に陰影を与え、それぞれの人生を思わぬ方向へと向かわせます。
そして喜久雄の人生を想像もできないような域にまで連れ出していく、最高の感動を届ける大河小説です。
ここからネタバレ注意
国宝の感想(ネタバレあり)
心を揺さぶられる三場面
人生の物語の中で読み終わってずっと印象に残っている場面はいくつもあります。
その中でも特に印象深く、胸に刺さった場面を上げます。
花井白虎(二代目半二郎)の最期
半二郎を継ぎ三代目半二郎となった喜久雄です。
白虎の最期は病院でした。喜久雄は走ります。頭の中には自分の名前を呼ぶ親同然の白虎の元に駆け寄るのです。
実の息子が消えてしまっても喜久雄はずっとそばにいて、倒れる前までの舞台では白虎の目となって支え続けておりました。
倒れて入院する白虎の病室にお見舞いにいった喜久雄は病室で『仮名手本忠臣蔵』四段目の語る白虎に合わせて演じます。
白虎の最期の直前、駆け寄る喜久雄の頭には『仮名手本忠臣蔵』四段目のお上から切腹という処分を受けた判官の台詞、
「……由良之助は、まだか?」
このセリフが頭に浮かんでいます。
由良之助は判官の家臣の大星由良之助のことです。
喜久雄は頭の中で「由良之助はまだか? 喜久雄はまだか?」という白虎の声を聞こえている時に白虎の最期の時を迎えようしている連絡を受けます。
繰り返し頭の中で響く「由良之助はまだか? 喜久雄はまだか?」の声。
「旦那はん、待っとくなはれ!」と心に叫んだ瞬間、
実際に聞こえてきたのは、
「俊ぼーん! 俊ぼーーーん!」
消えた実の息子の名前でした。
「すんまへん……」
わけもなく、そんな言葉が喜久雄の口からこぼれるのでございます。
白虎の最期の場面は感情をぐるぐる巻きにしてもつれにもつれた心情が描かれていて、喜久雄のわけもなく謝りの言葉がこぼれてしまったことが寂しくて、白虎の繰り返し息子の名前を叫ぶことについても気持ちも分かって、何とも言えない重みのある場面として胸に残っています。
喜久雄と俊介の共演『隅田川』
喜久雄と俊介はライバルのような存在としても気持ちの通じる役者仲間としても思える関係です。
それぞれが違った個性と才能を花咲かせて活躍します。
でも俊介は思うように芝居ができないようになり、それでも何とか実現させた喜久雄との共演『隅田川』です。
一か月の公演で千穐楽まで勤め上げた翌日に義足の俊介からすれば救急搬送されるほどの壮絶な舞台でした。
この時、二人はそれぞれに認めあう仲で
「喜久ちゃん、舟に乗り込むとこなんやけど……」
と俊介から声がかかれば、
「今日は支えようか?」
と喜久雄は先回りするような呼吸感。
そして千穐楽まであと三日という時の公演。
この場面は舞台演者の必死さと緊張感が十二分に伝わる場面です。
動けない俊介に、段取りとは違う流れになり慌てふためく大道具たち。
これ以上ない緊張感の中で俊介は動かぬ足を引きずって、両腕で這い始めます。
ここまで来い!と応援する喜久雄。
痛みと意地でぐちゃぐちゃに顔が歪んでいる俊介。
「なあなあ舟人、妾をその舟へ乗せて賜り候え」
喜久雄の足元で俊介が演技を続ける姿はぐっときて2,3度上を見ました。
喜久雄の国宝としての舞台
ラストシーンです。
このころの喜久雄は孤独です。
芝居だけに生きてきた男たちが命をかけて夢を追った先にある人生の境地に喜久雄はいます。
周りの人間からもいつから「ああいう目になった?」と尋ねられるほどに何か突き抜けた感覚でただ芸の道へと邁進しています。
芸の最高とは観るものの感覚が伴うものなので難しい話です。
ただ人に見えないものが喜久雄に見えてきているように思わせる描写がいくつもあります。
舞台が終わってその違った世界を生きている喜久雄は
「きれいやなあ……」
と舞台を降りて真っすぐと外へと歩いていきます。
それは演じている「阿古屋」なのか喜久雄なのかわかりません。
スクランブル交差点でいつものように「はい」と出の合図をして演じる役者の姿。
そこに異常を突き抜けた美しさを感じ、私は喜久雄の生き様を最後まで見られたような気がしました。
日本一の女形、三代目花井半二郎
喜久雄は最終場面で人間国宝に選ばれました。
人間国宝とは?
文部科学大臣が指定した重要無形文化財の保持者として各個認定された人物を指す通称のことです。
無形文化財とは演劇や音楽、陶芸などの伝統的工芸技術その他で、作品を生み出す技術そのもののことです。
喜久雄のある種の芸一筋という異常さは言葉ではなく各場面で描かれています。
特にそれを感じた一場面だけ上げます。
小学二年生の娘と神社にお参りすれば喜久雄は娘に言います。
「お父ちゃん、今、神様と話してたんとちゃうねん。悪魔と取引してたんや」
「ここ悪魔いんの?」
「ああ、いるで」
「その悪魔と、なんの取引したん?」
「『歌舞伎を上手うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」
その瞬間、綾乃の目からすっと色が抜けました。
「……悪魔はん、……なんて?」
「『分かった』言わはった。取引成立や」
これは歌舞伎に生きる男の人生の物語です。
人間国宝として、日本一の女形として、三代目花井半二郎が芸に憑りつかれているといっても言い過ぎではないほど、最後には役なのか喜久雄なのかわからないくらいの温度で生きています。
それはとんでもなくて、でも美しい。
『国宝』の感想まとめ
それぞれの人物の人生が濃厚に描かれていました。
下巻の花道篇を読んでいると青春篇の各描写がそれこそ自身の思い出のように「そんなことあったなぁ」としみじみと感じることができました。
それは登場人物皆が生きている物語だからだと思います。
喜久雄しかり、俊介しかり、二代目半二郎しかり、妻や子どもたちしかりです。
皆に歴史があるから濃厚で感じ入ってしまうのでしょう。
取り憑かれているという言葉を使っても足りないくらい芝居の道で命を賭して夢を追い求めていく立花喜久雄の姿に感動です。
喜久雄の喜びも美しさも寂しさも読んでいく中で伝わってきます。
圧倒的な面白さのある作品でした。
国宝を読んだ後、感じた〇〇
とてもエネルギーを使って読みました。
面白くて目が離せないのですが、喜久雄の人生の重みが読み進めるごとに積もっていってすごい疲れた笑
でもこれ以上がないくらいのめり込んで喜久雄の人生に寄り添うに読むことができました。
読書ってすごい。まるで違う人生の物語にどっぷり浸かった感覚です。
私は自分の人生を通して何をどう描く事ができるのだろう。
芸の道とかではなくても何かを残すためにあせっていて、うまくいかなくて落ち込んで、時々喜んで必死になっているのだろうと思う。
頑張ろう。
久々に歌舞伎見に行きたくなりました。
幕見席とか安い席ばかりで楽しんでいましたけど(それも面白いのですが)たまには役者の顔や息遣いを感じれるくらいの席で観てみたいです。
高い席は私にとってはとてもとても贅沢なことですけど。
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