本日、鹿児島にあるかごしま近代文学館に行ってきました。
その中で向田邦子さんのコーナーで長い時間、過ごしました。そのことは長くなりそうなので別記事で書きますが、向田邦子さんの小説については大学時代、ゼミの他の学生の発表から興味を持って読んでいました。その中でも『思い出トランプ』という本の「かわうそ」という話が強く印象に残っていて、大好きな短編です。
「犬小屋」「花の名前」「かわうそ」で直木賞を受賞されていて有名なのですがそれらも含めて、その他の作品も自分が気づけない感覚に気づかせてくれるような文章が瑞々しく綴られていて、とてもおすすめの短編集なので紹介します。
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向田邦子プロフィール
1929年東京生まれ。人気テレビ番組「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」など数多くの脚本を執筆する。1980年『思い出トランプ』に収録の「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で直木賞受賞。
エッセイでも『父の詫び状』、『男どき女どき』など数多く話題となっている。
1981年8月22日、台湾に取材旅行中、飛行機事故で死去。
『思い出トランプ』の簡単なあらずじ・内容紹介
浮気の相手であった部下の結婚式に、妻と出席する男。おきゃんで、かわうそのような残忍さを持つ人妻。毒牙を心に抱くエリートサラリーマン。やむを得ない事故で、子どもの指を切ってしまった母親など―日常生活の中で、誰もがひとつやふたつは持っている弱さや、狡さ、後ろめたさを、人間の愛しさとして捉えた13編。直木賞受賞作「花の名前」「犬小屋」「かわうそ」を収録。(「BOOK」データベースより)
ここからネタバレ注意!
『思い出トランプ』より「かわうそ」「犬小屋」「花の名前」の感想(ネタバレあり)
上記〔自作を語る〕の動画でも語られていますが一作20枚以内(400字詰め原稿紙と思われる)の短編で綴られています。
「かわうそ」
厚子はおちゃめな部分もあり一緒に退屈しないかわうそのような女性です。
厚かましいが憎めない。ずるそうだが目の放せない愛嬌があった。
ひとりでに体がはしゃいでしまい、生きて動いていることが面白くて嬉しくてたまらないというところは、厚子と同じだ。
おい、と呼び止めてみれば「なんじゃ」とわざと時代劇のことば使いをしてみるなど、かわいらしいというか、無邪気さのような愛嬌は今、読んでみても好意を抱いてしまうような女性です。
でも庭の用途など対立する部分と宅次の病気からか疑心暗鬼になっている部分が絡まり合って愛嬌を越えた怖さのようなものが滲んでいます。
「メロンねえ、銀行からのと、マキノからのと、どっちにします」
そして視界が闇に包まれる終わり方。
初めて読んだ時、「すごい短編!」とはっきり思ったのを覚えています。
文章に裏に流れている気持ちが迫ってきて短いのに胸が重くなります。
「犬地図」
犬はここに行けばご飯をくれたり、世話をしてくれたりとマーキングをしながら自分で地図を作っているといいます。
そんな犬のようなカッちゃんの不器用な気持ちと煩わしくなっている達子の気持ちがありありと想像できます。
「かわうそ」もそうでしたが、どうにも女性の方が一枚上手です。
そして男の方が見栄っ張りで乱暴です。
今の時代ではどうなのでしょうか。人によって違うとは思いますが、恐妻家という言葉も頻繁に聞くようになっているので少し男側の粗さはなくなってきているような気がしますが、まぁ、分かりません(笑)
はじめ、カッちゃんと知らずに「うちとどちらを幸せというのだろう」と思う達子の姿がありました。休みは眠ってばかりいる夫の姿に、長男にそのうち、そのうちとパンダをまだ魅せられていないと不満のような気持ちが綴られています。
もし、カッちゃんの妻も達子も妊娠していなければ声をかけていたと言いますがその時浮かんでいる達子の気持ちを想像すると複雑です。
かつてカッちゃんが作った大きな犬小屋はまさにカッちゃんのようで、おやこの三人の家庭の姿は、今の達子にない形でもあり、終わった物語に複雑な余韻がありました。
「花の名前」
女の物差は二十五年たっても変わらないが、男の目盛りは大きくなる。
深い。。
自分を頼りにしていた子どものような男の存在はいつの間にか「それがどうした」がますます大きくなっていることに気づきます。
最後の「君が代」が流れてきた場面で終わるのはどういう意味なのでしょうか。
君が代は「千代も八千代も男性も女性も栄えていきますように」という歌が流れる中で二人の物差しがいつの間にかずれてしまっている状況に悲しさが浮かびます。
終わりに
直木賞受賞作の感想を綴りましたが、その他の作品も男女の複雑な気持ちが流れています。
どれもこれも繊細に作られているのに流れている気持ちは強く迫ってきて、すごい短編集だと思います。