小説

川村元気『百花』感想【花火のように消えては打ちあがる愛と記憶の物語】

『億男』、『世界から猫が消えたなら』の著者・川村元気さんの最新作!

息子と母の切ない想いが小説の始めから終わりまで綴られています。

母の認知症、施設入所、結婚、出産、母子家庭の親子関係、子どものために生きるということ、自分自身のために生きるということ、消えてしまった思い出、浮かび上がった思い出……。

今現在を生きる人たちに刺さるキーワードがぱっと頭に浮かぶような言葉と文章で描かれた物語で本当に読みやすく、そして胸に響きます。

出来る限り多くの人と共有したい物語として紹介します。

あらすじ

認知症と診断され、徐々に息子を忘れていく母を介護しながら泉は母との思い出を蘇らせていきます。

ふたりで生きてきた親子にはどうしても忘れることができない出来事があります。

ある日突然母がいなくなってしまった出来事。

ふたりが背負う過去に、泉は手を伸ばし知ろうとします。

現代において失われていくもの、残り続けていくものは何なのでしょうか。

すべてを忘れていく母が思い出さえてくれたこととは何なのでしょうか。

現代に新たな光を投げかける、愛と記憶の物語です。

 

ここからネタバレ注意

百花の感想(ネタバレあり)

百合子と泉

息子と母の切ない想いが詰まった物語です。

しかしただの親子愛が綴られた話ではありません。

百合子には百合子の想いの歴史があって、泉には泉の想いの歴史があります。

だから百合子、泉の一人の人間と一人の人間の物語でもあります。

一言で言って、

泣きました。。

例えば百合子がかまくらを作るシーン、

「秋田に旅行で行った奴が、お父さんにかまくらを作ってもらって、中でおしるこ食べたんだって」

そう言った時の百合子の顔をいまだに忘れることができない。ただかまくらへの憧れを伝えるつもりが、「お父さん」という言葉を使っていた。それが母を傷つけることをどこかでわかりながら、当て付けるような言い方になった。

子どもは無邪気であり、時々、残酷です。相手の気持ちに鈍感になってしまう部分もその経験値ゆえにあるのだと思います。

でも次の日に母親がかまくらをおしるこをこしらえて、念願のかまくらでおしるこを実現させます。

ひんやりとした雪の屋根でおしるこを食べた結果、

その日の夜、泉と百合子は揃って高熱を出して寝込んだ。ふたりで布団を並べて横になりながら、おしるこおいしかったねと笑い合った。

「ごめん、俺、お父さんはいらないから。母さんいればいい」

親子エピソードに胸が熱くなります。

親子の愛情の深さは比べられるものではありません。

一度百合子が息子を置いて好きな人を追いかけていってしまったとしてもです。

ただ親子が仲良かったとかではなくて、母と子の一対一の人間関係が物語になっていて、温かなエピソードと一人の人間として突き動かされた人同士のエピソードが百合子と泉にはできていてそれをぐいぐいと惹きつけられて読まされました。

子ども置いて好きな人についていってしまうというのは責任感がないことなのかもしれません。

責められるべきことだとも思います。

ただ、戻ってきて認知症になってもその責任を抱えてぽつぽつと懺悔の言葉を漏らす百合子を見ると当事者の泉がどう思うかだけの話のように感じて読んでいました。

泉は百合子の日記を読んで逆に母親への想いと一生をかけて泉と二人で生きていく熾烈な決意を見ます。

そして百合子が亡くなった後、忘れてしまっていた思い出が浮かぶ姿は切ない。

失われる記憶と蘇っていく記憶

認知症で少しずつ記憶が失われていく姿は最近のテレビドラマでも描かれることがあってイメージはつきやすいところもあります。

昔、高校の教育実習に行った時に扱った評論文で「人間は記憶を編集して生きている」といった内容を扱ったことがあります。大見出しとか小見出しとかつけて記憶を雑誌の編集者のように自然と編集しているといった内容です。

認知症になって記憶が選別されて残っていく記憶がひとまとまりになって現れていく様を読んでいると苦しくなる部分があります。

百合子の施設に入る前の書き置きに特にぎゅっと胸を掴まれたような気持ちになりました。

 息子の名前は泉。甘い卵焼きとハヤシライスが好き。レコード会社で働いている。(中略)泉に迷惑はかけない。ちゃんとひとりで生きる。ベビー服をプレゼントする。電球と単三電池とハミガキ粉を買う。

どうしてこうなってしまったのだろう。

泉、ごめんなさい。

うちの母親だったら……とか私だったら……とか考えてしまいます。

百合子の幼少期の記憶、大好きな人との出逢いであるトロイメライの練習、泉を置いていったこと、半円の花火の記憶……。

KOEが人工知能研究社との対談で「人間は体じゃなくて記憶でできているということ?」という言葉があります。

また「記憶が欠けることによって個性が生まれる」というような言葉も。

次々に記憶が欠けていく百合子は幼児化のような様子も含めて百合子らしさに近づいていっているように思えます。

泉はそんな百合子に触れて思い出させてくれるものがあったのではないでしょうか。

最後まで読んで、だからこそ、亡くなった母と逆に次々記憶が欠けていく母と接して記憶を思い出す泉の姿は深くて、辛い。

百花の感想まとめ

昔の小説を今読んでも楽しめます。でもこの小説は今を生きている人に読んで欲しいと思いました。

認知症も結婚も出産も人の死もずっとこれからも不変の話題だと思うけど、今の時代の空気みたいなものが溢れている小説だと思います。

それは登場人物の仕事など日々過ごしていく物事への感じ方がとても今の時代に生きる人に近いと思うからです。

1日で一気読みの面白さを持った一冊でした。

百花を読み終わり感じたこと

私自身、施設の種類は違っても福祉施設で働いているので入所者に合わせて運営されている施設の姿が描かれていることに嬉しさを感じました。

重めの話題が詰まっていますがとても読みやすかったです。

最後、家で半円になって打ちあがる花火の姿を泉が見る姿は私も泉であるかのような気持ちで読んでいました。

全く立場は違っても共感がたくさんある本でした。おすすめです!

ABOUT ME
いちくらとけい
社会人の本好きです。現在、知的障害者の支援施設で働いています。 小説を読むことも書くことも大好きです。読書をもっと楽しむための雑記ブログを作りたいという気持ちで立ち上げました。

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