芥川賞受賞作です!
第160回芥川賞は上田岳弘『ニムロッド』と合わせてこの町屋良平『1R1分34秒』が受賞しました。
両作品は同じ回の同じ文学賞でありながらまるで毛色の違う物語です。
そしてそれぞれに面白さはあるのですが、この『1R1分34秒』はボクシングが題材で、試合があって、減量苦があって、トレーナーがいて……と比較的イメージしやすく本の世界に入りやすい作品だと思います。
ちなみに芥川賞とは新人作家による発表済みの短・中編作品を対象とした文学賞です。
短・中編作品が対象なので量としては短めで、かつ新人作家を対象とした文学賞なのでこの文学賞を契機に読まれるようになり活躍していく作家さんも本当に多いです。
『1R1分34秒』もわりとイメージしやすいボクシングが題材と言えども侮るなかれ。
短い中で新しい切れ味を持った魅力が詰まった作品です。
Contents
あらすじ
21歳青年ボクサーの物語です。
新人ボクサーの「ぼく」は闘争心があまりなく試合の度に引退を想像するようなボクサーです。
しかし、同じジムの先輩のウメキチがトレーナーについてから内面に変化が見られます。
ウメキチとの対話や減量中の自分との対話を通して、自分の渇望しているものと向き合っていく物語です。
例えばボクシングが題材の漫画や映画、小説などのストーリーでありそうな試合に勝ってボクサーが羽ばたいていくような物語ではありません。
ボクサーである「ぼく」の一人の青年としての不安や希望を始めとした想いととことん向き合った物語です。
自分と向き合って、他人と自分を比較して、これからどうなるのか不安と少しの期待を持っています。
だからボクシング好きという方だけではなくて、ボクシングというタグに興味がない方でもその内面の変化に唸ってしまうような魅力のある作品だと私は思います。
ここからネタバレ注意!
1R1分34秒の感想(ネタバレあり)
芥川賞候補になるような作品は大きく余韻を残すような話だけど、途中途中考え込みながら難しく感じるような場面も多いような印象を持っていました。
でもこの物語は勝てていないボクサーがこれからについてや自分の持っている才能に不安を覚えながら努力を積み上げていく話で、ストーリーとして入りやすくて読みやすかったです。
面白かったのは気分が乱高下しながら壊れそうになりながら前に進んでいく「ぼく」の心理描写で、とても引き込まれました。
特に終盤の試合前の減量中でスパーを行い、不安定になっている「ぼく」の姿は心を揺さぶられます。
「お前のせいだ……」
おもわず口をついた愚痴に中身が無さすぎて、だからこそへいきでウメキチに自分の弱さを擦りつけた。
「お前のせいだお前のせいだお前の、お前の」
ウメキチは黙って足を揉んでいる。
中身のない愚痴と書かれていますけど、「ぼく」の心情がとても分かって、ウメキチの黙って足を揉んでいる姿を想像すると苦しくなります。
マッサージが終わってウメキチが立ち上っての散々中身のない愚痴を言い涙を落した後に言った言葉、
「ありがとう……」
とぼくは言った。
思い切り感情移入して場面を見ていました。
才能があるとかないとかではなくて、必死に自分と向き合ってしがみついていく中で生まれる物語は心を揺さぶります。
セリフ回しとか心情の表現に関わる描写の迫力が伝わってきて「これはすごい青春小説だ」と陳腐な感想ながらも思いました。
ラストは驚いた点があります。
試合に向けてとことんウメキチと努力をして自分を追い詰めてきたのに試合の描写はほぼないことです。
こんなボクシング小説あるのか、と思いました。
スパーや練習シーンは専門用語もあって詳細に書かれているのに意外でした。
でもよかったです。試合シーンなくて。
終盤、いつの間にか試合の勝ち負けよりも「ぼく」の心情の変化に夢中になっている自分がいたからです。
勝手な考えですがだからこその芥川賞受賞なのだとも思います。
終わりに
結局やるべきことは決まっているのに不安になり、努力を積み重ねていてももう1人の自分はその努力にダメ出しをする。
1番厳しく見ているのは自分自身で、自分自身が自分をとことん追い詰めていく。
身体を壊れるまで時間を目一杯使っても晴れることはなくて、時々涙が出たとき、すっきりした気分になったりする。
なんかこう書いていると自分が怪しい奴に見えて、これを読まれてどう見られるのかも不安に思いますが、そういう時もあります。
きっと今の時代的に言うと思考も行動もスマートな人がかっこいいのかもしれないけど、この話の主人公のように頭の中がぐるぐるぐちゃぐちゃになりながら、時々周りの人に当たったり、はたまた感謝しながら、進んでいく人間は大好きです。