第164回芥川賞受賞作!
宇佐見りんさんは当ブログでも以前『かか』を取り上げましたが三島由紀夫賞を最年少受賞し、第二作の本作では今年芥川賞も受賞し、大きな話題となりました。
そして『推し、燃ゆ』は2021年の本屋大賞にもノミネートもされました。
賞レース的な話題も勿論すごいのですが、小説の中身はもっとすごい。
小説としては中編に属するくらいのそれほど長いものではありません。でもその小説を読んで感じる空気は登場人物の切実な訴えのようなものを感じます。
そして、新しい!
私は小説は風化しづらい媒体だと思っているし、近代文学の作品にも好きなものはたくさんあります。
それでも現代を切り取り、かつ、圧倒的な力を感じる作品のベストはこの作品だと感じました。そんな作品を紹介します。
『推し、燃ゆ』のあらすじ
アイドル上野真幸を推すあかり。あかりは推しをわかることに心血を注いできました。
しかしある時推しが炎上してしまいます。推しがファンを殴ってしまって。
あかりの周りには将来を心配する家族やSNSで繋がる人々がいます。
今まで自分のほとんどが推しの存在で占められていたあかりの心境は切実に揺れ動いていきます。
『推し、燃ゆ』の感想
推しを愛することと自分を愛すること
ほとんど本屋に行かない日々が続いていましたが『推し、燃ゆ』は絶対読まねばと思い取り寄せました。
宇佐見りんさんは前作の『かか』が衝撃的だった記憶があります。読んでいる最中は痛くて辛い描写もあるのだけど読み終わって読んで良かったと思えた記憶です。
『推し、燃ゆ』も予想通りというか、前に感じた読中の痛さや辛さを忘れてたと思わせるくらい突き刺さる物語でした。
「今を生きるすべての人にとって歪で、でも切実な自尊心の保ち方、を描いた物語」
帯のコメントの中ではこの町田康さんのコメントに一番共感しました。
推しとか、大好きなものに拘る姿って本作のあかりに関わらず、深めの自分が投影されているのだと思います。
だから推しを愛することって自分を愛することにも繋がっています。
特に自己肯定感が大きく上下する時期にその繋がりは救いにもなるけど危険で、見ているととても痛い。
痛く感じる自分にとってあかりの姿はけして人ごとでもなくて深く読もうとすると苦しかったです。
でも読後に感情や脳みそが上下左右動き回った感じが残ってて、こういう小説のすごさを感じさせる話、これからも読み続けたいって思わせられました。
あかりの生きる姿勢
綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨をひろうみたいに丁寧に、自分が床に散らした綿棒をひろった。
(中略)
這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。
終わり方は場面だけ拾うと異様な空気に包まれています。
恐らく終盤の場面だけ読んだとしても伝わらないのだと思います。
ただ始めからあかりの姿を読み進めていると、この異様な行動に共感すら覚えてしまうのです。
あかりはずっと推しの影と一緒に生きてきました。
そして推しは推しであかりにはわからないけれどもアイドルとして表で見える部分とは別にその大切なものを壊したいとう衝動があったのだとあかりは思います。
あかりにとって推しは全てが繋がっていて、その壊したい衝動も深いところで繋がっているように推しと重ねていきます。
怒りやかなしみの衝動をぶつけて壊して拾っていきます。ひろっていく姿はまさにあかりの生きる姿勢です。拾っていく姿は周り世間の求める普通ではない。
私の感想として、自分の原形に触れていくような感じがしました。
その自分の原形というのはきっと歪で、普通でもなくて、下手したら醜いのですが、紛れもない自分です。
からすが鳴いて、部屋には窓から差し込む光で明るさを感じる中、自分自身を自分で感じていく終わり方が印象的でした。
終わりに
自分の内面に潜っていくような小説に触れる機会は、教科書や課題図書などたくさんありました。
その中には夏目漱石『こころ』とか谷崎潤一郎『春琴抄』など今でも印象的で自分にとって大切にしたいと思える図書があります。
でも、もしこれからの未来、教科書や課題図書などで取り上げて欲しい本といったら、夏目漱石や谷崎潤一郎ではなくて、私は宇佐見りんさんや高山羽根子さんを推します。
それくらい私は『推し、燃ゆ』を読んで、自分の内面に潜りながら小説を楽しむ体験をさせてもらいました。
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