瀬尾まいこさんの2005年に発表されて映画化もされた作品です。
瀬尾まいこさんの作品の中でも知名度があって人気度も高い作品です。
ただインターネット上のレビューを眺めてみると意外にも好きな人、嫌いな人が分かれている作品。
温かな雰囲気で推移するのに内容はどこか踏み込んでいる。そして最後まで読むとそれまで読んでいた話とはまるで違う作品に見えてしまう話です。
簡単なあらすじ・説明
父を辞めると宣言した父、家出中なのに料理を届けにくる母、元天才児の兄。
佐和子の家族は少しヘンです。そして佐和子には心の中で次第に存在が大きくなるボーイフレンドの大浦くんがいます。
それぞれの登場人物が切なさを抱えながら、つながり合い再生していく家族の姿を温かく描く吉川英治文学新人賞受賞作です。
ここからネタバレ注意!
幸福な食卓の感想(ネタバレ)
佐和子の中学・高校時代が描かれた物語で4つの章立てで進んでいきます。
幸福な朝食
「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」
春休み最後の日、朝の食卓で父さんが言った。
衝撃的な始まり方でした。佐和子の父親が仕事の教師を辞め、そして父親も辞めるという宣言です。
離婚とか家を出ていくとかではなく、同居生活は継続しつつ、「父」という役割を辞める宣言でした。
兄の直ちゃんはあっさりそれを受け入れ、佐和子も戸惑いながらも受け入れます。
母は別居をしていて、家族の形が「ヘン」なように感じます。
過去が描かれる場面は重いです。佐和子の父さんの自殺未遂。その後の母親の苦悩が描かれています。
私はそれでもこの家族が優しい人たちであることを感じました。ごく繊細で脆さがあるのだけれど。
自分自身で抱えてつぶれてしまいながらも一番小さな佐和子のことを大切にしようという想いは父も母も兄も皆が持っています。そのうえでお互いがお互いの生き方を尊重し合っているように感じたからです。
並行して家庭崩壊している坂戸君と佐和子との交流も描かれますが、佐和子は家族から、それに坂戸くんからも優しさを受け取っています。
苦手な鯖なのに佐和子の分まで食べていた坂戸君の告白。
「すごいだろ? 気付かないところで中原っていろいろ守られてるってこと」
佐和子の周りの人たちは少し「ヘン」なのかもしれません。
ただ最後で描かれる桜餅を食べたくなってなければみたらし団子でいいように、それにいつもいつも家族が食卓に揃うことが大切なわけではないように、それよりも大事な思いやりみたいな絆を感じることができました。
バイブル
中学三年生受験期の佐和子が描かれています。佐和子は大浦君と出会い、直ちゃんは小林ヨシコと出会います。
お金持ちの家で育った大浦君の塾帰りに電池切れの電動自転車に悪戦苦闘しているシーン、
「この自転車を押して帰る俺と、迎えに来てもらう俺とどっちがかっこいいと思う?」
こんな言葉を本人にいちいち聞いてしまう「格好悪さ」が素直過ぎて微笑ましいです。
大浦君とのやりとりを通して佐和子の内面が見えてきました。
上がった成績を伝えることを大浦君にそのまま伝えられなくてつい誤魔化してしまうところ。
いずればれることは分かっているのに、好きな人の心象を気にしてしまうような人だと分かりました。言った後で前言撤回できずに悩みこんでしまう佐和子の姿は共感できる部分があってはらはらしてしまいます。
ありがちな話ですが中学生らしいですね。
そして佐和子の家族のゆがみも父の遺書と共により深いところに迫っていきます。父が「父」を辞めた理由とそれをあっさり直ちゃんが受け入れた理由もわかります。
「うん。父さんは、真剣ささえ捨てることができたら、困難は軽減できたのにって書いてた。その通りだと思う。俺はその方法を使った。だから、二十一歳になってもまだ生きてる」
私はこのセリフが胸に響くものを感じました。
「逃げた」とか「弱い」とか「責任感がない」とかのレッテルを貼られてしまうことはきっとどこにでもあると思います。
でも見方を変えて真剣過ぎて壊れてしまうことだってあると思うのです。
テレビ番組を観ていると多勢の意見で結論づけられてしまうことも多く見てしまいますが目の前で壊れて逃げてしまった人がいてもその人側の目線を持てるようになりたいです。
強い人間だけが生きる権利を持っているわけではないし、強さと鈍感さは紙一重な気もします。
父さんも直ちゃんも真剣さを捨てても「父」という役割を捨てても、勿論それを全員に肯定して欲しいというわけではなくて、私はそれで成り立っている優しさある関係が嬉しくなりました。
最後に佐和子が大浦君と仲直りできて、かつ佐和子が抱えているものを大浦君に話してまた一つ温かい関係を構築することができてよかったです。
救世主
高校生の佐和子の学校生活と直ちゃんの恋の苦悩が描かれています。
交流会での合唱練習での佐和子の立ち位置。これは想像できる方も多いのではないでしょうか。
学級委員がクラスをまとめようと「静かにしてください」とか声を上げていく内にクラス内で浮いてしまう。
私も中学一年生の時に学級委員だった時があって同じように授業中静まらないクラスについて先生から呼び出されて「学級委員としてどうすべきか」問い詰められた時があります。
佐和子と比べると真剣みが足りなくてなんとなく根本的に解決のないまま時間は流れていってしまいましたが、正面から挑む佐和子が苦しい立場に追いやられていく姿は読んでいて苦しくなります。
だから大浦君に相談して多少要領よく立ち回ることを覚えつつ佐和子が交流会をうまくいかせることができてよかったです。
直ちゃんの小林ヨシコとの恋愛への苦悩はお互いに私では想像できない天才的なぶっ飛び方をしているので直ちゃんの苦しみを共感というよりも面白く読んでしまいました。
多少雑な部分があるからこそ小林ヨシコ渾身ともいえる美味しい手作りシュークリーム。
佐和子と直ちゃんが不格好なシュークリームを夜ご飯気にせずに飽きるまで食べる姿は小林ヨシコの存在がそれまでのうまくいかない流れを全て明るくするように思えました。
プレゼントの効用
この話は前の3つの章とは違います。
とても苦しくて、最後に前を向く気持ちの再生の物語です。
大浦君の死という展開は突然で乱暴に気持ちをどん底に持っていきました。
怒りすら覚えた展開で佐和子の気持ちが落ち込んでいくのと同じように沈みました。
でも、そこからずっと「ヘン」だと思っていた佐和子の身の回りの人たちが佐和子のために的外れと言えるようなそれぞれの感覚で動きます。
大切な人の死というのは簡単に立ち直れるものではないからどれもこれも空振ります。ただ周りの人たちの行動から佐和子への想いが伝わってきて、なんかもうよく分からなくなりながら目頭が熱くなりました。
そして本人も不器用ながら真っすぐ生きてきた佐和子だから、相手の気持ちが分かってそれでも明るくできない自分に落ち込みます。
家族からは少し距離のある友人とのカラオケでは自分自身を素直に出し過ぎると嫌われてしまうからと精一杯明るくする姿はとても現実的に想像できました。
最後に小林ヨシコの佐和子を励ます言葉は私から見ても下手でただ佐和子を怒らすばかり。でもあのシュークリームを佐和子のためにたくさん渡して、不器用な言葉を重ねる姿は「元気になって欲しい」という気持ちが強く伝わってきました。
大浦君からのプレゼント、小林ヨシコのシュークリーム、大浦君へ渡す予定だったプレゼントを弟の寛太郎渡す場面があって、それぞれで佐和子にとって、なくしてしまったものと残っているものとさらにつながっていくものが描かれていて、苦しいのだけど前を向く姿が印象的でした。
幸福な食卓の感想まとめ
始めの3つの物語は個性的な話と学校生活で少しでも経験があるような共感がたくさんの話が詰まっていて優しく読むことができました。
背景の重さなど個性的な部分は好き嫌いがある話なのかもしれません。
でも最後まで読んで欲しいと思える話です。最後の章まで読んでみると佐和子を中心とした「ヘン」だとしても繋がる最も大事な心情を感じられて、とても苦しかったのですが、胸に響きました。
私の初読は10年以上前でした。今回、移動中に読む本がなく再読していたのですが内容はほとんど忘れていました。タイトルが温かいので手にとったのですが読んでいる最中、電車の中で涙を堪えました。
以前の投稿で書いた状況と妙に合ってしまって。
佐和子だけではなくて一人一人の登場人物の行動が気持ちを揺れ動かす力を持った作品でした。
[…] […]