昨日、「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート」展に行きました。それは先日の投稿の通りなのだけど、もう少しつらつらと個人的な部分も含めて書きます。
「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート」展で森村泰昌氏の映像作品がありました。
成就院の小さな茶室で畳の上に置かれた2面のモニターで流れている作品です。和室の隅には森村氏の描いた〈ちいさなひまわり〉がかけてあってその下には宮沢賢治の〈雨ニモマケズ〉手帖が置いてありました。
映像は整理券を配布されてうまく人数調整をしながら運営されています。
映像の中身は森村氏がゴッホになり切り日本に憧れつつ死んでいったゴッホへの深いまなざしが胸を打つ内容でした。
実際の日本の街の様子にゴッホの自画像になり切った森村氏が歩いている様子は異様ではあるのですがそのなりきり具合にすぐに引き込まれました。〈アルルの寝室〉の絵画に入り込んで佇む姿は現代的であり、かつ昔にあった出来事を見ているような感慨深さがあります。
〈アルルの寝室〉
映像の中でフィンセント・ファン・ゴッホとテオ・ファン・ゴッホについても語られていました。
画家・フィンセントを経済的にも精神的にも支える存在だったテオ。
フィンセントの素晴らしい絵画はテオの存在なくしてはあり得ないものでしたし、テオもまた兄に自分の夢を重ねて生きていたわけで、二人は兄弟であり、フィンセントとテオで一人の人間とも言えるような二人でした。
フィンセントはテオの負担になることが辛かった。テオの負担にならないために自死の道を選んだとも言われることもあります。(フィンセントの死には諸説あります)
そしてフィンセントが亡くなり、わずか1年も経たないうちにテオも亡くなります。
「追うように」という言葉は安直なのかもしれません。ただ人と人との繋がりと命についての関わりを思わないわけにはいきませんでした。
個人的な話をします。
昨日朝、祖父の訃報が届きました。
少し今までの書評の中に書いたこともありましたが5月に祖母が亡くなったばかりでした。
私は前泊で京都入りしていたのでホテルで父からのLINEで祖父の死を知り、まず仕事の調整をしました。それからお通夜とお葬式が福岡で今日明日に行われるのでホテルをとり、礼服がないのでレンタルの手配をしました。
気持ちが定まらないまま、清水の坂を上り展覧会入りをします。ですが始めなかなか気持ちが入らず成就院に入った時には半分くらいの気持ちでうまく感情が入っていきませんでした。
でもこの森村氏の映像の整理券をもらって再入場し、フィンセントとテオの存在に心を預けると昨年祖父母に会いに行ったときに、祖父が認知を深めた祖母の居室へ足繁く通っているのを思い出しました。
二人がずっと仲睦まじかったというのはまた少し違う気がするのですが長年ずっと一緒にやってきたという歴史はきっと私にはまだ想像もできない重みがあるのだと思います。
フィンセントとテオに祖父母を重ねるのも違うのは分かっているのですが、映像を見ている最中にふと祖父母のことを思い出して苦しくなってしまいました。
映像が終わってから宮沢賢治の〈雨ニモマケズ〉の手帖を見て、「あーしんど」と心の中で呟きながら足早にその場所を離れました。
しばらくして落ち着いたら心がほぐれた感じがあって一つ一つの作品を改めて感じて楽しんで、最後にはトークイベントでよく笑って、アート展を終えることができました。(ちょっとした涙活ですね)
今福岡にいます。
京都から東京から逆の博多に新幹線で向かうのは不思議な気分でしたがR&Bホテルの朝食のパンを食べていたら気持ちを整理したくなって書きました。
昨日も書きましたが人生で何を積み重ねていくのかは自由だと思います。今日明日祖父の積み重ねてきたものに想いを馳せてお別れを言いに行こうと思います。