小説

朝倉かすみ『平場の月』感想【山本周五郎賞受賞。50歳男女の純愛小説】

ちょうどよくしあわせ。

ちょうどよくしあわせな日常の記憶と聞くとどんな光景を思い浮かべますか?

もしかしたら過ぎ去って振り返ってみて初めてその「ちょうどよさ」に気づくのかもしれない。

私はこの読書を通じてそう感じました。

今月、山本周五郎賞を受賞し大注目の今作品です。

著者は『田村はまだか』で知られる朝倉かすみさん

二度と戻らないちょうどよくしあわせな日常の記憶が心に差し込むような恋愛小説です。

あらすじ

印刷会社に勤める青砥は数年前に離婚して実家で独居しています。

胃の検査のために訪れた病院で須藤と出会います。須藤は中学時代の同級生で浅からぬ思い出のある女性です。

彼女は夫と死別後、地元のちいさなアパートでやはりひとりで暮らしていました。

35年ぶりの再会から始まる2人の約2年の日々が綴られた物語です。

 

ここからネタバレ注意

平場の月の感想(ネタバレあり)

「平場」で夢を見るということ

「平場」とはごく一般の人々のいる場といった意味です。

この物語は50歳男女の物語で青砥は印刷会社で働いている身で須藤は病院の売店で働いていました。

子どもが結婚するくらいの年齢の様々な人物が登場してその中で青砥と須藤は再会しそれぞれこれから先に夢を見ます。

6月15日に2人が離れる日の直前、5月最後の夜が印象的です。

深夜だった。須藤のアパートを通り過ぎてすぐ、「須藤、もう寝たかな」と振り返った。三階建てのアパートの二階の角部屋に灯りがついていた。自転車を停め、見上げたら、ベランダの窓が開き、須藤が顔を出した。須藤の表情は、その夜の月に似ていた。ぽっかりと浮かんでいるようだった。清い光を放っていた。

須藤は何を考えていたのでしょうか。青砥が訪ねると、

「夢みたいなことだよ」

と答えます。

青砥の頭に浮かんだのは、

「俯瞰で平凡だが、おれらにしたらこころに深く感ずるような、静かなしあわせな日々を送る、とかいう、そんなふうな。」

光景です。

実現可能と思えるかどうか、2人の状況と想いが交錯してすれ違って物語が展開していくわけですが、とても静かな想いに満ちている描写がとても好きです。

どんな想いを描いていたのだとしても一つ一つ足元ばかり見ていた須藤が見上げて月を見て、夢を見ている姿は物語の核心で読後に思い返してぐっと胸に迫る場面でした。

青砥と須藤、2人の関係の行く先

青砥は様々な物事との関わりにラインを引いて俯瞰するように考えるタイプです。

距離を縮めたい青砥との関係はなかなか縮まらない。

でも2人の関係の進み方は大人ならではの恋です。

二人ともパートナーとの離婚や死別で孤独を引き受けた暮らしをしています。

そんな中で再会して、独占欲や性欲に突き動かされる恋愛をするわけではなくて、信頼関係を育んで恋愛感情を抱いていきます。

お互いの歴史を引き受けて関係のバランスを気にしながら大切に想っていく関係は穏やかで力強く人生を進む力になれるような関係に思います。

それを青砥は求めているのに寄り掛からない須藤の姿にもどかしさは感じて、今まで大病を患ったヒロインのキャラクターとは一線を画すような性格ですけど、それがとても身近にリアルに感じられました。

人間は歴史を積み重ねると自分をよく知って自信を深める人もいれば自身を失くす人もいるのだと思います。

私も思うところがあって青砥よりも須藤の気持ちに共感しました。

青砥も須藤も、憧れというよりも共感を呼ぶ気持ちがたくさんあるから気持ちを追えば追うほど読者にとって「ただの物語」ではなくなるのではないのでしょうか。

でも、2人の個性があるからこそ、噛み合わず、展開していく流れは辛い。

平場の月の感想まとめ

仕事や介護問題など、平場の厳しさというか現実や足元を見ないと生きていけない日々の中で上を見る瞬間が本当に愛おしく感じます。

悲恋の物語です。だから最後は苦しい。

青砥が須藤とのちょどよくしあわせな日々を思い出す姿が苦しいです。

誰かが亡くなってその瞬間は実感が湧かずピンとこなかったとしても、その人との記憶を思い返すと自分の中に根が深く張っていたことに気づきます。

その気持ちがとてもよく分かります。

あぁ、やだなぁ、と思いながら終盤読んでいました。

感情のうねりが圧倒的に描かれている一冊でした。

色んな人に読んで欲しい。

平場の月を読んで個人的に感じたこと

先日祖母が亡くなりました。

昨年から危ないと言われていて昨年福岡まで見舞った時には会話はできない状態でしたが手はぎゅっと握ってくれました。

それで今週、亡くなったという連絡を父から受けてピンとこずにどんな気持ちでいるのが正解なのかとかくだらないことまで考えて嫌な気持ちになりました。

そんな中でこの本を読んで祖母との思い出を振り返ったら苦しくなりました。

記憶や思い出はしんどい。でも大切です。愛おしい記憶はそうなればなるほど後の辛さにつながるのだと分かっていても求めて過ごしていくのだと思います。

それでいいです。

今はただ辛いけど思い出さずにいられない想いがあることを嬉しくも思います。

つらつら書きましたが『平場の月』は繊細な気持ちがたくさん閉じ込められている小説だと思います。

薄っぺらさのない圧倒的な恋愛小説であり、生きる哀しみを描いた小説でもあります。

出逢えてよかったです。

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いちくらとけい
社会人の本好きです。現在、知的障害者の支援施設で働いています。 小説を読むことも書くことも大好きです。読書をもっと楽しむための雑記ブログを作りたいという気持ちで立ち上げました。

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