詩人・谷川俊太郎さんの代表作の一つ「生きる」が絵本になりました!
生きているということ
いま生きているということ
このフレーズは誰しもが聞いたことのあるフレーズだと思います。
私も大好きなこの詩は1960年代後半に書かれ、それから半世紀以上も愛され続けている詩です。
実は谷川俊太郎さんはこの「生きる」を「そんなによくできた詩とは思っていなかった」とインタビューで語っています。
「完成していない、ほころびがある詩だから、読んだ人が入ってきてくれた」とも。
「ヨハンシュトラウス」や「ピカソ」など固有名詞も登場する詩は確かに私たちが生きているこの世界に存在する詩なのだと思わせてくれます。
だから大好きな詩なのですがそんな詩が絵本に。
絵と一緒に「生きる」という詩の魅力を改めて感じることができました。
絵本『生きる』の簡単な説明
生きていること いま生きていること……とさまざまな人生の瞬間の情景を連ねる、谷川俊太郎の詩『生きる』が初めて絵本になりました。
小学生の兄弟と家族がすごすある夏の一日を描き、私たちが生きる「いま」をとらえます。
子どもたちが過ごす何気ない日常の中にこそ、生きていることのすべてがある、その事実がたちあがっていきます。
『生きる』の感想
詩の中で大好きな部分があります。
生きているこということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えているということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまがすぎてゆくこと
私が過ごしていて目に見える外側でもいま、「いま」が流れていることを意識することがあります。
例えば遠くに電車で移動した時に知らない街並みを見た時とか。
「あぁ、ここでも人が生活していて時間が流れているんだ」と感じると妙に感慨深くなることがあります。
この詩の上記した部分を読んだ時にその感慨深さの中心をがしっと掴まれたような気持ちになりました。
どこかで誰かが生まれていて、そしてどこかで死んでいます。
見えないから意識できていないところだけれども、大きな喜びも深い悲しみも平行して置き続けていて、どこであってもいまが過ぎていっています。
とてつもなくすごいことだと思ってしまうのは私だけでしょうか。
この絵本では何気ない日常の中に潜んでいる「生きているこということ」が描かれています。
詩は言葉に出すとすっと身体に馴染むことがあります。
絵本で何度も読み聞かせをしたら詩の色んな側面が自分だけでなく相手にも沁み込んでいくのではないでしょうか。
一度声に出したくなる(実際出した)絵本です。
終わりに(不可思議/wonderboyの『生きる』の紹介)
『生きる』という詩は詩としてもよく知られていますし、この絵本もとても素敵です。
実は一つ、おすすめしたい『生きる』の感じ方があって、不可思議/wonderboyという歌手がいます。
ポエトリーリーディングという手法で詩を音楽に乗せて語り掛けるような音楽です。
彼の歌う谷川俊太郎さんの『生きる』を元に作られた楽曲がおすすめです。
もしよろしければ。
聴いたら泣いてしまいます。
不可思議/woderboyは若くしてもう亡くなってしまったアーティストです。
ぜひ、詩を感じ、絵本を感じ、音楽を感じ、いま生きていることをそれぞれ感じていただけたらいいなぁと思っています。