熱くて眩しさ溢れる青春競歩小説です!
競歩という競技の名前を耳にしたことがある方や競技の様子を少しでも見たことがあるという方は多いというかほとんどだと思います。
でも競技の中身を覗いてみると私は高校時代陸上部でしたが、
こんなに過酷な競技なのか
と驚きました。
オリンピック競技にもなっている競歩。
東京オリンピックでは
- 男子20km競歩
- 男子50km競歩
- 女子20km競歩
と3種目行われます。
ハーフマラソンほどの距離からフルマラソンを超える距離の「歩く」速度を競う競技!
しかも「走る」ではなく「歩く」ことを競う競技ですから厳密な歩く形のルールがあり、それを規定回数以上破ってしまうと失格。
時間も距離も長く、そして厳しい。だけど速さを競い、その先には喜びがある。
額賀澪さんが描く競歩という競技と小説を描いた熱くて眩しい青春小説を紹介します。
簡単なあらすじ・説明
榛名忍は東京オリンピックの開催が決定した2013年に作家デビューしました。
「天才高校生作家」として持て囃された華々しい日々から3年、大学生になった忍は作家として大スランプに陥っています。
世間ではリオオリンピックの話題で持ち切りの2016年夏のある日、忍は大学でたった一人の競歩選手である八千代篤彦と出会います。
「君は、どうして競歩をやってるの」
「先輩には絶対にわからないですよ」
八千代との出会いをきっかけに、忍は「競歩小説」を書くことになってしまいます。
リオオリンピックから東京オリンピックへと至る4年間を忍と八千代が共に歩く日々が描かれたスポーツ小説です。
ここからネタバレ注意!
競歩王の感想(ネタバレ)
作家・榛名忍と競歩選手・八千代篤彦
作家と競歩。なんて異色な組み合わせ。
でも物語として読んでみるととても近さのある組み合わせにも思えます。
どちらにもスランプがあり、ライバルがいて嫉妬がある。日々一歩ずつとにかく積み重ねることでしか苦しみを喜びに変える手段がない。
序盤の忍の姿は八千代の競歩を知ろうと言う体なのに興味なさそうな態度を繰り返す姿に私自身、「なんて失礼な」と怒っていました。
金沢でのレース終わり八千代にとっての長崎の存在と忍にとっての桐生の存在が重なってから二人の距離がぐっと縮まっていきます。
かつて並んでいたはずの相手が遠くに走って行ってしまったやるせなさも、焦りも、わかる。不当な扱いを受けているわけではない。むしろ相応の場所にいると理解しているのに、腹立たしい。許せない。悔しい。醜い感情に呑まれて、帰ってこられなくなる気がする。
出てきた忍の本心は八千代にも響きますし、読んでいて私にもぐずぐずして怒りすら覚えていた忍との距離が縮まる想いでした。
(余談ですが金沢の海鮮丼、本当に豪華で驚きのうまさですよね。「笑っちゃうくらい美味いですね」の八千代の言葉にうんうん頷いていました)
全然違う立場の忍と八千代なのにとてもシンクロして物語が進んでいくので、二つの異なるジャンルなのに道を切り開いていく姿が一つのものとして感じられて新鮮な面白みを感じました。
たくさんのうまくいかない場面が描かれていく中でそれでも前に進むしかなくてもがいていく姿は自分自身も励まされる想いです。
特に50kmに転向した始めの八千代のレースは痺れました。
八千代がいい調子でレースを進めながらもラスト10kmで身体が左右に揺れた場面、福本の悲鳴と自分の気持ちが重なりました。
そして苦しみ、喜びからの衝撃の結果は「どれだけ気持ちを上下させるの」という気持ちでした。面白いということなのですけどね。
忍と亜希子、愛理
うっすら流れて行く恋愛模様も面白みの一つでした。
近いような遠いような関係性でも気持ちの距離は動いていく難しさを感じす。
亜希子の彼氏ができたという報告に身勝手に傷つき、それを福本に報告して、小説を書くことで傷を忘れる姿はあまりいい男とは言えないかもしれないけど、良くも悪くも素直で自分の中にある軸に沿って進む忍の姿が見えました。
難しい。
好きな人や元好きな人や助けられた言葉など色んな要素が絡んではっきりしないまま関係が終わったり始まったり進んだり、そういうのが学生生活の恋愛模様みたいで懐かしさ混じりの切ない気持ちになりました。
歩王と競歩王
忍の書いた『歩王』もこの書籍『競歩王』も筋は同じはずの物語です。
伸び悩んでいる小説家と競歩選手の物語。
でも歩王は〈負け〉を噛み締めて次へ向かう終わり方です。
「俺に小説の善し悪しはわかりません。これで先輩が救われるのか、ちゃんと売れるのか、偉い人に評価されるのか、そういうのはわからないです。わからないけど、俺にとっては、凄く大事な本になるということは、よくわかります」
『歩王』を読んでの八千代の感想です。八千代は自分が『歩王』の中にいるということを感じています。調子よく歩いている時の八千代の姿です。
『歩王』の中身は詳しく書かれていませんが、『競歩王』で書かれている調子よく歩き、笑みさえ浮かべる八千代の姿が描かれているのでしょう。
だから後に東京オリンピックに出場するまでになった八千代が自身の大事な本として『歩王』を再読するまでになるのだと思います。
私が思い浮かんだのは何度何度繰り返してもうまくいかなくて、だんだん努力の方向の善し悪しすらわからなくなって目標を諦めきれない気持ちと逃げ出したい気持ちです。
それでも練習するしかない。考えて修正しながらやるしかないのです。
八千代が『歩王』に自分を見て取り戻すように、『競歩王』を読んで自分自身と重ねてもっと進まなきゃと思えました。
歩く、歩き続けるって人生に被るというか、どんな人にも繋がる競技であり、物語なのだと思いつつ読み終えました。
終わりに
来年の東京オリンピックの競歩に注目です。
実際に観戦にも行きたい。観戦に行くために勉強もしたいと思います。代表選手のストーリーを知りたいです。
それは一つの楽しみとして、来年とかそれ以後もしっかり自分こそ歩み続けていこうと思える良い読書でした。
なんか爽やかな感想になりましたが、面白い青春小説は読後前向きな気分にさせてくれますね。読んでよかった。