第161回芥川賞候補作。
高山羽根子さんは前作『居た場所』で第160回芥川賞候補にもなった作家さんです。
芥川賞受賞にはなりませんでしたが『カム・ギャザー・ラウンド・ピープル』も『居た場所』も読むと胸の中に確実にその本の足跡が残る魅力に満ちた作品です。
私の周りの読書好きの方でも両作品を読んでで高山さんを好きになったと言う方も多いです。
人の生々しさを体験させてくれるような作品を紹介します。
簡単なあらすじ・説明
おばあちゃんは背中が一番美しかったこと、下校中知らないおじさんにお腹をなめられたこと、自分の言いたいことを看板に書いたりする「やりかた」があると知ったこと、高校時代、話のつまらない「ニシダ」という友だちがいたこと……。
大人になった「私」は雨宿りのために立ち寄ったお店で「イズミ」と出会います。イズミは東京の記録を撮りため、SNSにアップしています。
映像の中、デモの先頭に立っているのは、ワンピース姿の美しい男性、成長したニシダでした。
主人公の「私」が過去を回想しながらかつて高校の同級生だった男と再会するところまでが描かれています。第161回芥川賞候補作。
ここからネタバレ注意!
カム・ギャザー・ラウンド・ピープルの感想(ネタバレ)
私みたいに、なんの問題もありませんみたいな顔をして仕事をしているんだろうか。
まあじっさい、なんの問題もないんだけれど。
過去から今にかけてまるで実際になんの問題もなかったと振り返る「私」を読者である僕は全く問題ないなんて思えなくて不思議というか不気味というか本の雰囲気に飲み込まれていくような感覚になりました。
その他にも例えば死んだ人や苦しんでいる人に「ヘルメット」を被せていく描写やおばあちゃんのように見えない人もいる「雪虫」の描写など「私」の感覚は過去の体験と合わさって繋がっているのだけど、共感する気持ちと異質に感じる気持ちが半々くらいで少しずれた異質な世界へ行ったような感じです。
それが読んでいて面白くて引き込まれてしまうのだけれど。
ヘルメットは「私」にとってどういう存在なのでしょうか。
非常時に使う人の身を守るもの。進化や改良の速度が遅く感じられ昔から今までずっと変わらず大げさでものものしい雰囲気のままのもの。
心の中でそんな「ヘルメット」を被せてあげることで対象を異世界へと放り投げるような意味合いなのでしょうか。
描かれている場面で対象への悪意はないから「私」なりの供養というか慈しみの一端のような気がします。
また、雪虫について。
そう考えたすぐあと、ただ、おばあちゃんやお母さんは、今の私が見えていないいろんなものが見えているかもしれないな、とも思う。私だって、今、自分のまわりにこの虫とは別のなにかがいっぱいあるのに気がつかないで、生きているのかもしれない。
加害者、被害者、当事者、第三者、そのほかみんなそれぞれに見えているものは違って、気になる物事も違います。
過去に囚われないように逃げているようにも見えるし、まるでなんてことなくて過去は自身の中で処理されていて掻き回そうと集まる他人を迷惑に感じているようにも思えます。
一つ一つの事柄に意味づけするのは野暮ったく思えますが、総じて出来事や心情が生々しくて、たくさんの皮を剥いだ人間の気持ちを提示されたように感覚になりました。
「私」の過去の出来事は生々しく、他者のむき出しの欲望に衝突したような経験ばかりです。
この作品に出てくるニシダや『お腹なめおやじ』や学生寮の男の行為は気持ち悪い。
かわすのか逃げるのか。どこか無機質に処理する「私」の姿が苦しい。
何にも荒らされていない内面の綺麗な部分を守るために逃げているように感じました。
渋谷の街のリアルな描写の中で異質な感覚が浮き上がって魅力的な気持ち悪さと柔らかな気持ちの奥を抉るような残る物語でした。
感想・まとめ
独特な世界観は好みが分かれるかも。
僕は前作の『居た場所』のレビューを書いた時、好みの雰囲気を感じたのにアウトプットが苦しくて辛い想いをしました。
今作も「私」の気持ちに入ろうとしたり、起きた出来事を考えようとしたりすると苦しくて、でも好きな作品だと思えます。
文章も読みやすくて比喩もとても綺麗です。
「手持ち花火みたいにぱちぱちした笑いかたで笑うイズミを見ながら――」
一つ一つの文章も好きです。
そんな文章の中に飲み込まれるような力が流れている作品。