創作ショートショートです。
2,3分で読める分量です。
『死神』
思い出すだけで憎々しい。社会人になって立たされて怒られて、怒声に気圧されて簡単な質問にうまく答えられないでいる私を嘲笑って「だからお前はだめなんだ」と烙印を押される。その時のあいつの顔! あの気持ちよさそうな顔!
何がいけなかったのだろうか。私にはもう分からない。
時々怒られた後に大きな声で「おまえには期待してるんだよ。だからな、言ってしまうんだよ。怒るのだって、いや違う、怒ってはいない、これは叱っているんだ。叱るのだって体力がいる。だからどうでもいいやつには叱らない。そうなんだよ、分かるか?」
私は「すみません、ありがとうございます」と謝りと感謝の言葉を吐いている。
上司のその時の恍惚とした表情! 吐きそうだ!
毎日はなんとか終えられた気分で私は害のなさそうな無表情を作って家路につくのだ。
ブラックアウトしたテレビ画面には自分の顔が映っている。黒の画面に映った朧気な自分の姿は目元が見えずどんな表情をしているのか分からない。
三十歳を過ぎた辺りからテレビが見れなくなかった。
仕事から帰ってテレビをつけると、テレビの音が雑音のように聞こえてしまって落ち着かないのだ。テレビ番組の内容に集中しようとしても面白くなるのを待っていることができずに消してしまう。
だからスマホで10分程度の動画を観ながら食事をとる習慣がついた。そんな私のことを見つめるテレビに映った私に気づいたのはいつ頃だろうか。
こちらがテレビ画面に向かって微笑んでみてもテレビの中の私はその影となった表情を微かに動かすだけで微笑まない。もしかしたらその影の奥では笑っているのかもしれないけど私にはどうしてもそうは見えなかった。
酒を飲んで愉快になって帰ってきた夜でも彼は冷静な風に、そして冷たく私を見つめている。
私には彼が私だというようにはどうしても思えなかった。嫌なわけではない。ただ私をじっと見張っている存在。味方であり、敵である。
私は彼を私の「死神」だと思うようになった。いつか私はテレビの画面の私と入れ替わる。入れ替わった私には表情はなく、ただいるだけである。それは死である。そして虎視眈々と私と入れ替わろうと私を見つめている。
もしおまえがこの世に疲れたような姿を見せようものならいつでも俺はお前と入れ替わるぞ。この黒い四角の画面の中でお前は笑えばいい。俺は現実の世界で無になろう。ほら、もう嫌になっただろう? こっちにおいで。
死神は私の命の灯をいつでも吹き消そうとしているようだった。心が摩耗して帰ってきた夜、ご飯を食べながら私は何度も「画面を見てはだめだ。彼の声に答えてはだめだ」と自分に言い聞かせた。魔王に追われる子どものような気持ちだ。
死神は私に声をかける。「もう疲れたろう。苦しむために生きているわけではけしてないだろう。こっちにおいで」
私は動画のメリハリきいた興味惹こうとする内容に集中しようとするがその日は気持ちを紛らわすことができなかった。
「疲れたよ」
私は答えている。テレビ画面の死神はにやりと笑ったような気がした。いや、笑っているのは私か。
死神の姿が変わっていく。テレビ画面から表情の見えない私がゆっくりとはい出てくる。
「もう嫌になったろう。ほらこっちにおいで。よくがんばったよ、お前は」
私は立ち上がって私に優しい言葉をかける。死神の私と私は重なって二重の声で言う。「よくがんばったよ」
テレビ画面を見ると死神が、いや私の足元が映っている。
重なった私と憎き人の頭が転がっている。
死神と重なって私の震えはもう解けている。こつんと頭をつつく。
死んだように生きてきた自分を無に返す。無になった上司は白い顔でこちらを見つめている。そして命の灯をふっと吹き消した。
終わりに
暗い話ですが読んでくださりありがとうございました。
長いものを書こうと準備している中で暗い気持ちも突き詰めて書いてみたいと思ってこの話は書きました。
明るめのものも書いているのでもしよろしければ。